作品のポイント
20年ぶりに故郷に戻った主人公が、幼馴染の変化に衝撃を受ける話である。登場する人物やエピソードが大胆にけずられていることがこの作品の特徴であり、ルントーの思い出、ルントーとの再会が全体の半分以上を占める。主人公とルントー以外に登場するのは、主人公の母とヤンおばさん、そして、主人公の甥ホンルとルントーの子シュイションだけである。登場人物だけでなく、情報についても削られており、この物語を語る上で必要と思えるような情報もあまり書かれていない。書かれていても良いと思う情報の例をあげると、
- 社会背景
- 故郷の場所、故郷の特徴、故郷がさびれた理由
- 故郷の風景・街並みを記憶と比較する
- 主人公の現在(住所、仕事、家族、暮らし)
- 母と甥が実家に住んでいる事情
- ルントーとヤンおばさん以外の故郷の人
故郷の変化(街並み、旧友、恩師、等々)を次々に見せつけられて衝撃を受けるといった物語も可能だと思うが(そんな物語はありふれている)、この作品はルントーの変貌だけに焦点を絞っている。時代背景は具体的には書かれていないが、ヤンおばさんが纏足であること、汽車があることからおそらく清朝末期であろう。
1 なぜヤンおばさんが描かれるのか
この物語の主役はルントーで、ルントー以外の人はほとんど出てこないが、主人公とは縁の薄いヤンおばさんだけが詳しく描かれる。なぜ、ヤンおばさんが登場するのだろう。彼女とルントーと比較すると、ヤンおばさんは年齢と性別だけでなく、外見・性格・言動が対照的である。ルントーと対照的と思われる、性格・言動の特徴をあげてみる。
自信家(自分を忘れた主人公を蔑むように見る、主人公を子どものように扱う)
見た目(両手を腰に当ててた姿はコンパスのよう=背筋を伸ばして立っていた、この姿勢にも自信がにじみ出ている、ルントーより年上なのに皺がある・顔色が悪いといった叙述がない)
失礼なほどに図々しい(主人公から何かをもらって当然という感覚、主人公についての噂を口に出して言う、「お妾が三人もいて」と面と向かって言うのは相当失礼だろう。)
主人公の家の物を堂々と盗んでいく
ヤンおばさんにはいくつかの役割が考えられる。
①故郷の人々の代表
彼女が話したこと(金持ち、妾が三人、八人かきの籠)は、主人公について故郷で広まっていた噂だと考えられる。この噂はルントーを含めて故郷の人々に共有されていたはずで、これによって、故郷の人々が主人公をどんな気持ちで迎えたかが想像できる。(彼女のような妬みや不平等感を多かれ少なかれ持っていただろう。20年ぶりに訪れた故郷で、一方的に反感を向けられることはショックなはずである。)あるいは、そんな噂の中で慎ましい生活をしている母の気持ちを想像させる。
②ルントーの個性を引き立たせる。
図々しく、主人公に敵意を持っている彼女を最初に出すことで、ルントーの謙虚さや穏やかさが際立つ。盗む人ばかりだから、お土産を持参した人は少なかっただろう。主人公はルントーについて「でくのぼうみたいな人間にしてしまった」とかなり厳しい評価をしているのは、故郷の人々の多くが、もっと強くてたくましかったからかもしれない。
2 ヤンおばさんはなぜコンパスのように見えたのか
ヤンおばさんについて「まるで製図用の脚の細いコンパスそっくりだった。」とある。なぜコンパスのように見えたのか。(相当足が長い人でもコンパスには見えない。)
ヤンおばさんが纏足だったからである。後の方でヤンおばさんについて「飛ぶように走り去った。纏足用の底の高い靴で、よくもと思うほど速かったそうだ。」とある。纏足の脚先は細くとがっているから、コンパスのように見えるのだろう。
纏足の女性は一人では歩くこともおぼつかなかったと言われるが、ヤンおばさんはコンパスのように真っすぐ立ち、さらに「飛ぶように」走ることができる。かなり強くてたくましい女性である。
3 再会の時のルントーはどんな気持ちだったか
ルントーが複雑な気持ちであったことは、「彼は突っ立ったままだった。喜びと寂しさの色が顔に現れた。唇が動いたが、声にはならなかった。」という描写から明らかである。では、具体的にどんな気持ちだったのだろう。
ルントーも主人公との記憶を大切にしていたはずである。「喜び」は当時の面影を感じたからだろう。「寂しさ」は自分と主人公の隔たりを実感したからだろう。(着ているものや雰囲気に身分の違いが出る。)この時、主人公についての噂が、隔たりを嫌でも意識させたはずである。いろいろな感情が沸き上がる中で、隔たりの感覚が他の気持ちを圧倒した結果、「だんな様!・・・。」と言ったのだろう。
ヤンおばさんのように馴れ馴れしく振る舞う選択肢もあったかもしれないが、自信をなくしたルントーに、それは不可能だったと思う。
4 少年時代のルントーの話はなぜ面白いか
少年ルントーの話はかなり「盛ってある」と考えられる。籠でそんなにいろいろな鳥が取れるだろうか?(少なくとも鳩はかなり大きい。)海岸にいろいろな貝があるというが、「青い」貝が本当にあるだろうか? 畑にハリネズミが出るだろうか? チャーは実在する動物なのか?
子どもの頃には、こんな風に話を「盛って」周囲を楽しませる子供がいるものである。
他人行儀に振る舞うルントーを、笑いながら注意する母に対して、ルントーは次のように言っている。「あの頃は子供で、何のわきまえもなく・・・。」この言葉の背景には、話を「盛っていた」ことへの恥ずかしさもあったかもしれない。
5 主人公は現実を見ようとしない
この作品は主人公が語る形式を取っているので、主人公に対する評価やコメントは書かれていないが、作品から彼の個性(問題点)を推察することができる。
主人公は故郷から二十年も離れて暮らしている。ヤンおばさんの言う通り知事になっているのかは分からないが、かなりの社会的地位を得ていることは確かだろう。その一方で彼には、社会の現実を見ようとしないところがある。
例えば、20年ぶりの故郷を見て「これが二十年間、片時も忘れることのなかった故郷であろうか。」とショックを受けているが、故郷についての情報があれば、故郷の衰退をある程度予想できていたはずである。「片時も忘れること」がないと言いながら、故郷の情報を集めることはなかったようである。母はずっと実家にいるのに、母にも故郷の様子を尋ねていないのだろうか。
ルントーについても、彼が会いに来ると聞いて「そりゃいいな。で――今、どんな?・・・」とルントーについて、無邪気に母に尋ねているが、ルントーの暮らしぶりを知っている母は言葉を濁す。故郷についての情報がなかったとしても、主人公が社会の様子を見ていれば、ルントーのような身分の人間の生活は想像がつくはずであるが、それが全くできていないことが分かる。
さらに、少年ルントーの話が「盛られている」とは既に確認したが、主人公はルントーの話を今も信じているように思える。(疑いを全くはさんでいない)
お坊ちゃん育ちで、人のいい人物だろうと想像される。
6 主人公が最後に考えた「希望」について
主人公の社会(現実)を見ない甘さは、最後の「希望」についても現れている。
彼はホンルとシュイションの未来について次のように考えている。「希望を言えば、彼らは新しい生活を持たなくてはならない。私たちの経験しなかった新しい生活を。」前向きな善意に満ちた希望であるが、主人公の考える「新しい生活」とは、例えばどのような生活なのか。どうすればその生活が実現できるのか。さらに、それを実現するためには何を変える必要があるのか。時代は清朝末期である。社会を大きく変えない限り、「新しい生活」は実現しないのではないか。
このように考えていくと、主人公の考える「新しい生活」の実現は、とてつもなく難しいことだと分かってくるが、彼は具体的なビジョンを何も持たないまま、漠然と「新しい生活」を期待しているように見える。
作品の最後を「もともと地上には道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ。」ともっともらしくまとめているが、どこに「道」を作るべきか、どんな「道」を作るべきか、どうすれば多くの人がその「道」を歩くようになるのか。具体的なビジョンを考えないまま、気の利いた言葉で納得してしいるように見える。
主人公は魯迅の分身かもしれないが魯迅自身ではない。主人公の思考や感覚には、当時の人々(特に社会で指導的地位にある人)への批判が入っているように思える。