トロッコ(芥川龍之介)

1 『トロッコ』はテーマ小説か

 この作品を簡単にまとめると次のようになるだろう。

トロッコに憧れていた八歳の良平は、念願のトロッコに乗れたものの、突然放り出されて夕方の線路を家に向かって必死に走り続ける。何とか家に帰りつくと、感情が抑えきれなくなり大声で泣き続ける。
青年になり雑誌社で校正の仕事をしている良平は、突然、その時の自分を思い出すことがある。

この作品をテーマ小説とするといくつかのテーマを取り出すことができる。

 ➀ 憧れ続けたものを手に入れてみたら、恐ろしいものだった。

抽象度を上げて②のようにまとめることもできる。

 ② 良いと思っていたものが、極端なマイナスに変わる。

②をテーマと考えると、トロッコだけでなく二人の土工もテーマに含めることができる。さらに、トロッコから見た風景も含められるかもしれない。
ラストの青年時代を重視すると次のテーマを取り出すこともできる。

 ③ 少年時代の恐怖(トラウマ)が青年になっても象徴的によみがえる。

このように複数のテーマが設定できることは、プラスにもマイナスにも評価できる。

 プラス: 小さくまとまった作品ではない。
 マイナス: 散漫さのある作品である。

2 『トロッコ』はテーマ小説の枠に収まるか

機材としてトロッコは半世紀以上前に姿を消し、土工がトロッコを押す姿を想像しにくくなって久しい。21世紀になってもこの作品が読み続けられているのは、驚くべきことである。その大きな理由は、良平の感情(自分を乗せたトロッコが遠ざかる不安、夕方の線路を走る恐怖、村に戻っての感情の爆発)が印象的に描かれており、この気持ちに多くの読者が共感できるからではないか。誰でも幼い頃に次のような体験があったのではないか。

 〇 大人とはぐれて迷子になった恐怖
 〇 話に夢中になっている大人から長時間無視されたこと
 〇 感情を抑えられずに大声をあげて泣き続けたこと

私はもう老人であるが、幼い頃のこれらの体験を鮮明に覚えており、良平の気持ちに「そういう経験あるような。」、「その気持ち、分かる、分かる。」と共感できる。同じように感じる読者は少なくないだろう。良平に年の近い、中学生や小学校高学年の生徒なら、なおさら共感できると思う。

 良平の感情だけが描かれていれば、〈子供時代のトラウマ体験〉がテーマになるが、その前後にエピソードが配置されていることで、この作品は一つのテーマに収まらなくなっている。ただし、テーマ小説に分類することもできる。

3 エピソード選択の意図

はじめに年下の子供たちとトロッコで遊び、土工に怒鳴られて逃げるエピソードが置かれている。このエピソードは次の効果を生む。

 トロッコに乗れた喜びを大きくする
 若い土工に対する警戒感を和らげる(怒鳴った土工との対比)

この作品ではエピソードを対比させて印象を強める配慮が他にも見られる。

 トロッコに乗った当初の気持ちよさと新鮮さ 
→ その後の不安・恐怖との対比

 村に着くと多くの大人が心配する
 → 冷たい土工との対比、安堵感を強めて感情の爆発につなげる

4 「現在」の良平が最後に描かれた意図

雑誌社で校正の仕事をする「現在」の良平が最後に描かれるのは、余韻と重みを持たせて物語を終えるためだと考えられる。映画のラストでは次のように時間が「現在」に飛ぶことがある。

〇 過去の出来事(メインの物語)が終わる
〇 「現在」に飛んで、主人公(成長または年老いている)が当時を振り返って終わる

こうするとラストで二つの物語が終わることになり、余韻と重みを残して映画を終えられるため、このようなラストを取る映画が少なくない。ただし、映画では、物語当時と「現在」をつなぐ「小道具」を置いてオチをつけることが多い。

それに比べて、『トロッコ』は物語当時と「現在」をつなぐ「小道具」がないので、やや唐突に見える。この作品がもしも映画化されれば、ラストは次のようになるかもしれない。

  良平が走る途中で転倒して手に大きな傷を作る
  時間が「現在」に飛んで、同じ場所に傷跡のある大人の手が映る → 成長した良平だと分かる
  カメラが引いて、良平の全身と部屋の様子が写ると、棚にトロッコの模型が置いてある
  さらに、「現在」の良平が鉄道会社で安全担当社員として活躍していることが分かる。

5 間違い探し

『トロッコ』には明らかなミスが複数残されている。それを指摘することは、生徒の批判的な見方を刺激するかもしれない。

(1) 良平はどれくらい離れた場所で放り出されたのか

 良平がトロッコに乗ったのは「昼下がり」。それから日が傾くまで土工とトロッコを押し続けて、線路沿いの風景は何度も変化している。 → かなり離れた場所で放り出されたと考えられる。
 一方、良平は「かれこれ暗くなる」時分に放り出されて、村人の姿が見える時間(日が沈んで間もない頃だろう)に村にたどり着く → 30分から40分くらいではないか。どんなに長くても1時間にはならない。

 トロッコが走った距離と良平が走った距離が明らかに合わない。(八歳の児童が線路を走っている。)これは重要部分に発生する矛盾する、作品にとって致命的なミスと言える。

(2) トロッコは一台しかないのか

 トロッコを押す間(茶店の休憩を含めて)、一台のトロッコも見かけないし、出会うこともない。線路が一方通行だったとしても、茶店で休憩している間に後続のトロッコが来そうなものだが、そんなトロッコもない。一台のトロッコで運べる量は高が知れているから、トロッコが一台だけというのは納得しがたい。

(3) 茶店は誰を相手にしていたのか

 茶店でトロッコを止めて土工が休んでいるが、この茶店には他にどんな客がくるのか。茶店が道路と線路の両方に面していて、いろいろな客が来ると考えたくなるが、「切り崩した山を背負っている、わら屋根の茶店」とあるので、茶店の前に線路と道路の両方があるとは考え難い。(切通と茶店の間に道路が存在する可能性もあるが、それなら「街道に面した茶店」、「街道のすぐ後ろに切通を背負った茶屋」のように書かれるだろう。)この茶店は、トロッコを押す土工だけを相手に商売しているのだろうか。(だがトロッコは1台しか走っていないようだ)その上で、「また同じような茶店」が他にもあるというから驚くしかない。

(4) トロッコの速度

 最初に三人の子供がトロッコを押し、坂を下って遊ぶ場面がある。ここでは距離と時間が書かれており、「十間ほどの間」を「二、三分」で下ったとある。10間は18メートルだから、これは分速9~6メートル、時速0.54~0.36キロである。芥川は算数が苦手だったに違いない。

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