『こころ』(先生と遺書)(夏目漱石)

1 作品のポイント:おびただしい矛盾

 あまりに有名な作品であり、様々な特徴を指摘できるが、私はこの作品の最大の特徴として、先生の遺書に不可解な点(謎)が多すぎることをあげたい。その一部をあげてみよう。

Kはなぜ告白したのか

Kは静への恋をなぜ先生に話したのか。Kは道が全てだと先生に明言している。ならば、静に恋をしたとしても、それを必死で隠すのが自然な振る舞いになるだろう。先生に問い詰められて告白したのであれば納得できるが、何も聞かれていないのに、自分から静への恋を先生に語るのはあまりに不可解である。

Kの遺書の謎

 Kの自殺の原因は先生の裏切りである。だが、Kの遺書は先生の裏切りに言及しないばかりか、「自分は薄志弱行で到底行先の望みがないから、自殺する」と動機まで書かれている。この動機は先生をかばう意味を持つが、自分を裏切り死に追いやった先生を、なぜかばったのか。さらに、遺書の最後に書き加えられた「もっと早く死ぬべきだのに何故今まで生きていたのだろう」という思わせぶりな言葉は何を意味するのだろう。

Kは本当にストイックなのか

 道のために自分は「なるべく窮屈な境遇にいなくてはならない」(二十二)と明言しているのに、Kは下宿での快適な生活に何の苦言も抵抗も示していない。さらに、下宿代を出させて当たり前という態度は、さすがに先生に甘え過ぎである。Kは自分に厳しい男ではなかったのか。

不可解なKの自殺

 先生の裏切りを聞かされた時、Kは微笑をもらしながら「御目出当とう御座います」と言ったという。そして、Kと直接話した奥さんはKに動揺やショックを感じていない。つまり、〈さほどショックを受けなかった裏切りのために自殺した。〉となってしまう。ちなみに、Kが裏切りを知ってから自殺までは二日間。その二日の出来事を先生は日記に残していない。つまり、Kに目につくような異変はなかった事が分かる。これも不可解である。

「精神的に向上心のないものは、馬鹿だ。」の謎

 この言葉を先生からぶつけられた瞬間、Kは大きな衝撃を受けて呆然とする。だが、この言葉にこれほど衝撃を受けることも不可解である。自分が恋と道の間で悩んでいたことは、K自身よく分かっていたはずで、その状態を厳しい言葉で非難されても、放心状態になるようなショックを受けるとは思えない。なお、先生の指摘する房州旅行の場面(三十)を見ても、大きな衝撃を受けるような事情を見つけることはできない。

先生の遺書に見出せる不可解な部分を謎と呼ぶなら、ここにあげたのは、おびただしい謎の一部に過ぎない。なぜ、これほど多くの謎があるのか。

 結論を先に言おう。先生が〈信頼できない語り手〉だからである。先生はもちろん嘘をつくような人間ではないが、先生の感性や理解力を冷静に考えて欲しい。先生は人間観察や洞察に長けた人間とは言い難い。その上で、静への恋心で冷静さを失っているから、彼が事実誤認を犯しても不思議はない。ここでは次のように考えて先生の遺書を読んでいく。

  先生は事実を誤認しているが、嘘は書いていない。
  遺書に残された客観的な事実を手掛かりに事実関係を明らかにする。

このようにして先生の遺書を読むと、先生の理解とは全く異なる真相が浮かび上がってくる。「先生と遺書」は推理小説のような作品である。

2 Kの不可解な苦悩

 Kをめぐる数々の謎は、いずれも先生の誤解から発生している。先生は次のように確信している。

  Kは静への恋と道との板挟になり悩んでいる。

全ての前提となるこの出発点が実は完全に謝りであり、これが全ての謎の原因になっている。上の確信が誤りであることは、四十と四十一から確認できる。

四十から確認しよう。印象的な「精神的に向上心のないものは、馬鹿だ。」という印象的な言葉の登場するのが四十一。四十はその前段である。四十にはいくつかの謎があるが、最後のところで描かれたKの苦しみが一番の謎だろう。Kが「進んで可いか退いて可いか、それに迷うのだ。」と先生に伝えると、先生が「退こうと思えば退けるのか」と返す。するとKは突然苦しみ始める。二人のやり取りを抜き出してみる。

先生 何んで私の批評が必要なのか
K  迷っているから自分で自分が分らなくなってしまったので、私に公平な批評を求めるより外に仕方がない
先生 迷うという意味(を聞きただしました)
K  進んで可いか退ぞいて可いか、それに迷うのだ
先生 退ぞこうと思えば退ぞけるのか
K  苦しい

Kは「退ぞこうと思えば退ぞけるのか」という言葉で突然苦しみ出すが、これはKが自ら提示した選択肢を確認したに過ぎない。この選択がどんなに辛いものであったとしても、自分でその選択肢を提示したのだから、先生がその選択肢を選ぶ可能性は想定していたはずである。しかも、先生は「退ぞくべきだ」とすら言ってはいない。自分で提示した選択肢を確認されただけで、なぜこれほど苦しむのか。

四十にはこれ以外にも不可解な箇所が存在する。四十は、先生が図書館で調べものをしているところから始まる。Kに調べものを中断されて外に出ようとすると、「Kは落付き払ってもう済んだのか」と言ったという。この時、Kには先生を気遣う余裕のあったことが分かる。だがこの余裕は長続きせず、先生が「この際何んで私の批評が必要なのか」と尋ねると、「彼は何時にも似ない悄然とした口調で、自分の弱い人間であるのが実際恥ずかしい」と言ったと言う。不可解なのはKが図書館で見せた余裕である。恋に悩んで先生の批判を求めたのだとすれば、Kは図書館で先生と出会った時から悄然としていなければ筋が通らないからである。

また、自分から先生を図書館から連れ出したにもかかわらず、Kからは何も言いださないのも不可解だ。先生に言いたいことがあったから、先生を連れ出したのではないのか。

3 Kが苦しみ出した理由

 「退ぞこうと思えば退ぞけるのか」でKが苦しみ出した理由が分かると、先生の遺書の読みが完全に変わってしまう。そして、それを解くための手がかりを漱石は次の四十一にしっかり書いている。該当部分を引用してみよう。

Kは昔しから精進という言葉が好でした。私はその言葉の中に、禁慾という意味も籠っているのだろうと解釈していました。然し後で実際を聞いて見ると、それよりもまだ厳重な意味が含まれているので、私は驚ろきました。道のためには凡てを犠牲にすべきものだと云うのが彼の第一信条なのですから、摂慾や禁慾は無論、たとい慾を離れた恋そのものでも道の妨害になるのです。Kが自活生活をしている時分に、私はよく彼から彼の主張を聞かされたのでした。その頃から御嬢さんを思っていた私は、勢いどうしても彼に反対しなければならなかったのです。私が反対すると、彼は何時でも気の毒そうな顔をしました。其所には同情よりも侮蔑の方が余計に現われていました。

下線部が手がかりである。鋭い読者ならこれを見ただけで分かったかもしれない。

ここにあるのは日頃の二人の主張である。Kの主張は次のように整理できる。

 道は何より重要で、恋は道の邪魔になる。

静に恋していた先生はKに反対して、次のような主張をしただろう。

 恋より重要なものはない。

二人の主張における恋と道の関係を不等号で表すと次になる。

  先生:道 < 恋       K:道 > 恋
 
そして、Kが四十で提示した二つの選択肢は次のように整理できる。

  進んで可い:道 < 恋    退ぞいて可い:道 > 恋

Kは日頃の自分の主張と先生の主張を、二者択一の形にして提示していたことになる。当然、Kには先生がどちらを選ぶかも分かっていた。先生が選ぶのは、日頃から主張していた「進んで可い」しかない。さらに、それを選ぶ際の先生の口調まで分かっていた。「勢いどうしても彼に反対しなければならなかった」とあるから強い口調のはずである。つまり、Kが先生の求めたのは意見やアドバイスではなく、恋に進めという先生の強い言葉だったことが分かる。一体どういう事なのか。

 Kは〈道か恋か〉で迷っていたのではない。〈静との恋に進む〉という結論を出したのに、それをどうしても実行できないために悩んでいた。これまで自分の思う通りに生きてきKにとって、こんなことは初めてだった。(恋に進むというのは静に告白することだろう。)考えた末にKが到達したのは、〈いつもの強い口調で先生に背中を押してもらう〉ことだった。

 つまり、〈 [恋に進め]という言葉を絶対に得られると思っていたのに、それが得られないと感じたから。〉これが、Kが苦しみ出した理由である。それくらいでなぜ苦しむのか?と疑問に思うかもしれないが、恋に進める方法が先生の言葉以外になければ、その瞬間に静との恋が成就する可能性が閉ざされたことになる。

4 Kの思い込み

 このように書いても、Kが〈静との恋に進む〉と考えた事を納得できない読者がいるかもしれない。Kは次のように思い込んでおり、これが四十の振る舞いの背景にある。

  静は自分にほれ込んでおり、先生も彼女の気持ちを承知している。さらに、先生は自分と静の恋を応援していて、もっと大胆になるべきだと思っている。

あまりに都合のよい思い込みだが、次の事実を確認すると、Kがこのように思い込んでしまったことも納得できると思う。

 (1) 静はKに気があるとしか思えない大胆な振る舞いを取り続けた。静の振る舞いは先生もよく知っている。
 (2) Kは先生を見下しているから、先生が自分のライバルになるとは思っていない。
 (3) Kは自分の生き方に自信を持っているから、静が自分に惚れても不思議に感じない。
 (4) Kには女性経験が全くない。
 (5) 静に対する気持ち(恋心)について、先生が何度も尋ねている。

Kのこの思込みを確認すると四十に見られる他の謎も全て解決できる。

〇 図書館では落ち着いていた ← 先生の言葉で解決できる(恋に進める)と確信していたから。
〇 「この際何んで私の批評が必要なのか」と言われて悄然とした 
← 先生に助けを求める情けなさを非難されたと思って落ち込んだ。
〇 自分から先生を外に連れ出したのに自分からは何も言わない ← 何も言わなくても、先生が「恋に進め」と言ってくれると思っていたから。

Kの思い込みは幼稚で自己中心的である。そして先生はそんなKを完全に誤解している。「先生と遺書」の堅苦しく大真面目な見かけと実態のギャップは、ある意味滑稽であるが、それが漱石の狙いであることは言うまでもない。

最初のページに先生の遺書をめぐる謎を列挙した。ここでは、これらの謎に触れないが、ここに示したものと同様の方法で全ての謎は解決できる。解決に必要な手がかりを漱石が書き込んでいるからである。

これらの謎に対する私なりの答えは、次の拙著に書いたのでご参照いただければ幸いである。

柳澤浩哉『『こころ』の真相』、新典社、2013年

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